この本で語られていることは、全くなにもないところからひらめいて独自の作品ができあがるなんてことは、これまでの芸術家の中にだってそうそういたものじゃない。それは少し調べれば(伝記やその芸術家のドキュメンタリーものを見れば)わかることで、アイディアなどは、誰かのアイディアや作品から影響を受けて生まれるものだと言っている。
アイディアは、誰かのアイディアと、また違う誰かのアイディアと、さらにまた違う誰かのアイディア・・・といった複数の他人のアイディア・作品が元となって、自分のフィルターを通して、生まれるものだとある。
著者はそれをいい意味で、いい作品を作る人から“盗もう”と言っている。
“自分のフィルターを通して、再発進する”という点が大事だと述べている。
この本か次の本『クリエイティブを共有! SHOW YOUR WORK! "君がつくり上げるもの"を世界に知ってもらうために』の中でだったか忘れたけど、ゴミ収集車の職員の人が値打ちがあると思う骨董品を集めて置いて(いつしかその人のそれ用に収集車庫の一角に置き場ができ)、収集車仲間にも、「よいなと思ったものをゴミの中から見つけたら、とりあえず、どんどん持ってきてくれ。ここ飾るかどうかは俺が決めるから。」と頼み、遂にはそうして集めたものを観せる展覧会を開いたというエピソードが載っていた。
その様に誰かはこれは役に立たないと捨てたアイディア、作品でも、よいネタの元・素材になる可能性があるという話も載っている。
つまり、誰からも絶賛されているものを、みんなが評価しているからいいなとするのではなく、自分の感覚を大切にすることという様な話も載っていたと思う。
またできるようになるまでは、できるフリをするのもいいとも述べている。そうしていくうちに本物になっていくのだと。
一番ためになる章がそれと関連した、最初は模倣から始めるんだということ。あれこれ考えないで好きだと思ったものを徹底的に研究し尽くそうという点だ。
私はこれがなければ、練習でさえも、真似しても自分の作品になるわけじゃないしな・・・と思って、足がすくんでいた。しかし創作していくうちに、偉大なアーティストたちの模倣を小さい頃や学生の時に繰り返すことで、さっと技術が取り出せて、ハッ!と何か思いついた時も難なくやってこなせるんだ、具現化できるんだというのも同時に感じていた。
模倣からはじまり研究により、新しいものが見える、新しい光が見えるのも経験上信じれることである。
大学のレポートを書くのに、たくさんの参考文献を借りて読むことで、自分なりの、“自分のフィルターを通した”結論が出る。そうして書かれたレポートは誰かを丸パクリしたものではなく、引用しつつ、こう書かれていて、こちらにはこう書かれていて、自分の経験上や見聞した中でもこういったことがあり、だからこう結論づけられるという独自に述べている文になるのである。
だからこの点において気持ちいいと思った。模倣なんかしている時間があったら、何か全く新しい、他にないものを作らないと—という苦しいところから、まずは模倣からはじめて、そこから派生していくのもありだと思わせてくれたことで、健全に創作に向き合える気がするのだ。
他にもクリエイターとして行っていく為には、どうしたらいいかなという話が、全編にわたって書かれている。