Miyaの書斎

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映画『テルマエ・ロマエ』の感想〜阿部寛さんが出ているとおもしろい〜

映画『テルマエ・ロマエ』の感想・レビュー

導入部が長くて、見るのやめそうになった。

でもマンガ読んだことある(途中まで単行本買ってた)から、楽しみだった。

映像に豪華さが表現されていたり、逆にチープになっていたりしていた。

なぜかすごそうなオペラ歌手が歌うシーンが挟んであった。

終止主人公の心の声と、外国人の役者の人の吹き替えが多いから、ナレーションをずっと聞いているような感じだった。

婦人役の人の演技がいい感じ。吹き替えだし、外国人の設定だから、身振り手振りが大きい方が、しっくりくる。

市村正親を配役に持ってきたいのは分かるけど、あんまりオーラが出てなかった。映画『のぼうの城』の特集でちらっと見た信長役もオーラなかった。それにすごい平たい顔族だというのが、濃い顔の役者に囲まれてて、気づいた。現地の役者さんにやってもらうべきだったんだ。

最先端のトイレのシーンがあるけど、きっと外国で上映されたら、今でもええ!?って思ってる人いると思う。ワンダーウェウーブとか、文字の書かれたトイレットペーパーとか。

ローマ人役の日本人みんな、日本の時代劇を見てるような感じにさせてくれる演技の仕方だ。時代の重みや雰囲気を出そうとするとそうなるのかもしれない。

マンガになかった部分のストーリーもおもしろかった。

日本の祭りのシーンでのハッピが真新しくて、雰囲気出てなかった。

〜〜〜〜〜〜

と観た当時(2012年)のメモには書いてあって、思ったより辛口で今驚いた(笑)

映画『テルマエ・ロマエⅡ』も後に観たけど、映画『テルマエ・ロマエⅡ』の方が残念な感じの出来上がりだったからか、それとも阿部寛さんが出ているから、上記のような不満がありつつもやっぱり好きって感じの印象が残っていたのか、全体的にはいい印象というか、おもしろい印象だった感じに今はなっている。

阿部寛さんが出ているとおもしろい

阿部寛さんが出ていると大抵おもしろいと思う。
初めて“観た”ときはNHKの『金曜時代劇 天晴れ夜十郎』。母とともに「大きな役者さん出てきたねー」と話していた。また「いい演技する」という話もしていた。いい演技というかまた観たくなる演技する好感触な演技するっていう感じだ。雰囲気ある役者さんというのだ。母とそう口々に話した記憶が今でもあり、母もそれをずっと覚えていた。まさかそのときはのちに学校の先輩となるとは思わずに、2人でそうテレビの前で話していた。

そのあとしばらくして『TRICK』で再び見かけたとき、母と「あの役者さんだ!」と言ったのも覚えている。すぐバンバン売れるかと思っていたのに、先のドラマ以降見かけなかったので(Wikiediaを見ると実際はドラマに出演して、連続ドラマで主演はやはりこれが久しぶりだったようだ。)、どうしたかなぁと思っていたのだ。またあの役者さん活躍しないかなぁー。私がいいなと思う人は芸能界の中ではダメってことなのかなーなんて思い始めていたところだった。だから嬉しかったし、なにより強烈かつインパクトある(意味一緒だけど)役につけた事に、親族か友達かのように心底、内心喜んでいた。すごい役を掴み取ったぞと。いろんな引き出しや窓を広げたり開けたりできそうな役という点も魅力的だった。この役をしながらいろんなことを試したり、掴んだりすることができると。このインパクトある役を見た他の作品の監督やプロデューサーなどのキャスティングする人が、あの人いいんじゃないか?と思い出してくれるだけでなく、そうしたときに、こういう役もできそうじゃないか?と違う役とか、表現が自由な役とかに当ててもらいやすくなると。そうすれば出番も増えるという話なのだ。
あーこれは来た。やった!と思った。ただ作品がちゃんと当たるかなーということだけ見る前は心配だったけど、作品の全体のつくりもすごくて(奇抜で面白くて)、よかった—のはみんな知っての通りだ。

今度何年もの時を経て続編のある『結婚できない男』も阿部寛さんだからこそ出せるおもしろさがあるし、むしろ他に誰がやるんだ?って感じもある。

しかしながら昔は超絶イケメンモデルでいけすかない爽やかイケメン(昔のモデル時の写真を見た勝手な印象です)(でも阿部寛さん本人も若い頃は“「フェラーリで乗り付けるような」ありきたりな二枚目の役”しか与えられなかったと言っている)だったのが、“結婚できない男”役とは、人生わからないものだなーと思う。
モデル時代の写真と、役者としてブレイクした後の写真と見比べると、ミントの風でも吹きそうな顔から、わざと自分の顔に汚しを与えたような感じにしあがっている。この違いはなんだろうか?と観察すると、一番は無精髭だ。こんな爽やかな顔には二枚目しか来ないけど、無精髭を生やしておくことで役の幅が広がるというものだ。もちろんそれだけですぐ役にありつけるという訳ではないだろうけど、“イケメン”を売りとしてきた人が、イケメンから脱却する事を決意して、実際にそっちへ思い切って突き進んでいけるかは、人によって分かれると思う。年を重ねてもいつまでもイケメン枠でなんとかやっていこうとする人もいれば、年を重ねて出てくるシワやたるみ、苦労で出た少し疲れた感じをうまく深みのある見た目に持っていけ、実際そのように振る舞え、渋みのある役者になる人もいる。年相応に合い、そしてそれ以上にチャーミングにも見せれる、魅力を出す人。似たようなところでいくと沢村一樹さんもそうだなと思う。二枚目だけど、おもしろい人物とかイケメンのイメージを崩すことができるというのを出せ、アピールでき、印象に残して再起用されるように長く活躍している役者さんだ。

2人はドラマ『成田離婚』で共演している。あのドラマでの阿部寛さんも印象深かった。主演の2人の離婚するしないのピリピリした雰囲気に、ほんのりのほほんとしながら仲裁のように出てくる夫妻を深津絵里さんと一緒に演じていて、出てくると和んだ空気になってよかった。あのドラマも好きだったなー。続編がないかなーなんてしばらく思っていたけど、離婚となったんだから続編があるわけないのだ…。
このドラマの主題歌である松任谷由実の「Sunny day Holiday」も好きだ。

映画『テルマエ・ロマエ』では原作であるマンガのエピソードをそこそこは再現しているのだけれど映画『テルマエ・ロマエⅡ』では、Ⅰ以上にオリジナルエピード、オリジナル展開になっていて、まぁ、映画を二作目で一旦は終わらせて着地させるためにはしょうがないのかもしれないけれど、後半はマンガでは登場しない準主役的な漫画家脂肪の女の子の話が主人公のような感じにメインになってしまっていて、主人公である「古代ローマ人ルシウス視点で見る現代日本」というこの作品の醍醐味・見どころがほぼなくなってしまっていて、そこが非常にいろんな面で残念だった。

純粋に作品を楽しめる出来上がりになってなかった点が残念

大人の事情とか思惑とか感じるし、原作が大切にされていないような感じがした。事実、原作者にきちんとした説明なしに使用料100万円という値段で契約されている。この件に関して原作者は弁護士を通して金額が不満なのではなく、十分な説明がない点に疑問を感じているだけとしているが、しかしながら同文内で、アメリカのシカゴに住んでいて夫もイタリア人なため、使用料が100万円で宣伝のための出演などはノーギャラという契約に「それはおかしいのではないか」と夫に指摘されたとあるように、やはり日本の雇用や契約のあり方は世界的に見て、変でありおかしいのであると感じた。同文書内でも書かれているが、これを読む前からおかしいなと思っていたのが、アメリカでは、芸能人は事務所の配下にあるという考えではなく、読んで字のごとくエージェントであり、芸能人はエージェントにとってお客さんで、仕事を取ってきて紹介しその仕事で役者が得たお金から、何割エージェントに役者から支払われるという形で、芸能人を中心にチームが組まれるというわけなのだ。雇った側である芸能人が気に入らなかったり不都合があればエージェントをクビにすることもできる。つまり芸能人はその分、自分をよりセルフプロデュースする能力にも長けている必要があるというわけでもあるが。
つまり力関係がおかしいなという訳なのである。

それがこの一件がなくても作品を見ているだけで、なんだか変だな?と感じさせられる出来上がりだったので、残念だったというわけなのだ。

無駄にオペラシーン(しかも採掘場のような安っぽいロケ地)が挟んであったり、もうこれ古代ローマ人とか関係なくねって感じな日本の女の子中心の話の展開だったり、首を傾げてしまう点が多かったのがもったいなかった。