- なんの部活だったか?
- 何人だったか?
- なにをしたか?
- 賞はとれたか?
- どんな部活だったか?
- どれくらいの頻度であったか?
- なにが大変だったか?
- 印象的なできごとは?
- よかったことは?
- なにが面白かったのか?
部活といえば中学の部活が最高に面白かった。
書くと長くなるし、うまく伝わる気がしないから簡潔に書こうと思う。
普段はなんの部活をしていたか聞かれても答えないようにしている。
それは下記の方に書いたような理由でだ。
なんの部活だったか?
演劇部
何人だったか?
30人
なにをしたか?
演出舞台監督
賞はとれたか?
私たちの最後の出場で優勝できた。
私が初めて演出舞台監督チーフをして出場した回でもあった。
それまではずっと審査員特別賞しか取れずにいて悔しいおもいをしてきた。
プロい集団だったのにそれまで優勝が取れなかった理由は、
広く一般に観客受けのいい作品ではなく、難しい作品をしたり、舞台構成を論理的ではなく「なんとなくこの場面は上手(かみて=観客からみて右側)から登場しそう」といった具合に、感性的に決めていたから、わかりやすい作品のときでも観客を難解にさせていたからではないかと思う。けれど、プロいから賞はなしっていうのはな…って感じで審査員が特別賞をくれたという感じではないかと思う。
どんな部活だったか?
本格的。
私たちの代が入る前までプロでその世界にいた人が顧問だったため、あらゆることが本格的だった。ちょっとしたプロを名乗っている小さな劇団より、ちゃんと仕組みが出来上がっていた。
照明や音響の本番中の進行シート、
ヘアメイクのデザインシート、衣装のデザインシート、
本番中に小道具や装置(一般の人が思う大道具のこと)を誰がどこへどのタイミングで移動させるかを支持する計画表シート(「行ってこい」と呼ばれていた。舞台の上手(観客から見て右側)へとはけた小道具は、次のシーンでは下手(左)から登場する必要があるときは、舞台上で演技が続きながらも、その舞台裏でスタッフか場合によってはちょうど上手から下手へ裏で移動する役者が、自分が使う小道具でなくても、それを持って移動したりする。スタッフも限られた人数なので本番中も忙しいから。)、
本番までの段取り・スケジュールといった型ももう出来上がっていた。
いつまでに上記のものを完成させ、いつまでにそれを練習し完成させお客さんに見せられる状態にしなかればならないか。
発声練習とかはよく知られているようなものを想像してくれたらあってると思う。
出演者とスタッフは兼ねているから、そういった意味でも忙しかった。
どれくらいの頻度であったか?
毎日。長期休みもほぼ毎日。
これは今考えるとどうかなと思うけど。
学校の部活に注力したところでそれが大人になって役立つことってあまりない。1割くらいはそれがきっかけでプロを目指す人もいるけど。
毎日厳しい部活に通って結果を出したとおろで一円にもならないし、これが就職でなにか有利になるということもない。
なにが大変だったか?
個性的で主張の激しい(出演したいとか、自分のアイディアを活かしたい、創造したいというような人たちが集まっているわけだから)、演出舞台監督として、みんなをまとめたり、ダメ出しをして演出をつけるのは、そこそこコツがいった。
私がチーフにつくまでは、同学年の演出舞台監督のチーフになった人たちは1回なったら次々やめてしまっていた。
指示を出すのに命令形で「こうして!」と言っていたからだ。
演者やスタッフからの反感をかって、言うことを聞いてもらえなくなったり、遂には「演出舞台監督なんていなくても練習できるもんねー」とこれ見よがしに聞こえる声で言ったりしていた。
おかげで私はそれを見ていて、やっぱり命令形であんな風に上から言う感じじゃダメなんだなーと分かった。
入部したときから「「個性の強い私が私がという人たちの集まりなんだから、より尊敬の念を持って(それが伝わるように表現により気をつけて)、尊重しあってやっていかなければならない」」と思っていたが、まさかそうしないことで、ここまで炎上するとは思わなかった。
具体的にどんな風に気をつけたかといえば、練習のときは、ダメ出しだけでなく、よかったところも言うようにし、ダメ出しの際はなぜそうすることがよいのかや、この場面ではどういったことにポイントを置いて、観客にどのような印象を与えたいのかということなど、全体の舞台構成として考えていることなども細かく話して、納得できるように努めた。これはとても効果的だった。
スタッフの中では照明さんが一番手強かった。これは代々そういう気質で、なかなかの頑固集団だった。先輩同士で意見がぶつかって、ひどい喧嘩に発展したのも何度か目撃した。怖かった。
さらに音響さんもそういう気質—のはずだったけど、私がチーフをしたときは優しい人たちばかりだった。「この場面はこのBGMとこのBGMと候補なんですけど、どちらがいいですかねー?」って音響さんの方から聞きにきて頼りにしてもらえたのは嬉しいことだった。
照明さんも最初の頃は雰囲気が怖くて内心ヒヤヒヤだったけど、なぜこの場面はこういう照明づくりがいいかとか、この場面ではどういう感じを表現したくて、その理由は台本のどこから読み取った結果なのかということ説明していくうちに、話をきいてもらえるようになって、最後は音響さんのように、照明チーム内で考えたいくつかのパターンから、どれがいいか?、もしくは全然違うか?ということを聞いてきてくれるようになって、とてもやりやすくなってよかった。内心はずっとヒヤヒヤしてたけど(笑)
印象的なできごとは?
チーフだった同級生たちが辞める前日に、私にだけは先に話しておきたいと思ってと電話をかけてきたことが印象的だった。私はそんな告白をしたくなるような人じゃないだろうと思っていたから。
だから、電話がかかってきて話を聞いた時は、嬉しい反面、あんなになりたがっていたチーフを降りて部活も辞めると言うことに驚きと、寂しさを感じて複雑な心境になった。
よかったことは?
リーダーをすることに自信がついたことかな。
それまでも学校で班長、リーダー、室長、指揮者、会長というのをしてきたから、少なからず人をまとめることのコツをつかんできていたけれど、個性的で自分の意見をはっきりもったメンバーたちをまとめられたのは—いや、まとめきれたかはわからないけど、練習につかすことはできた(笑)、し、優勝にも微力ながら力添えできたのではないかと(自分では、それまでのチーフの舞台構成の論理的な考え方がない決め方や、まとめ—演者やスタッフの団結力を高めるのが弱かったことを考えると、舞台構成を論理的な考えのもとで決めて、上記のような気配りで団結力をあげれたと思うので、そこそこ優勝へ尽力できたと)思うけど(笑)
当時のメンバーたちは「別にいなくても優勝とれたんだからね」って言うかもしれないけど(笑) そうだったらまた寂しいなー。
それにみんながいて、みんなの案や工夫が団結して賞を取れたことは間違いない。
その瞬間にいれたことがよかったなと思う。
なにが面白かったのか?
冗談をしょっちゅう言い合ってたなー。
ここまでの記述だとそんなのなかったみたいな感じだけど、概ね私の周りは平和だったので、部内が衝突していても、練習で集まってダメ出しの時間になって、ダメ出しのダメージをやわらげようと冗談を言ったりして楽しくすごしたり、帰りに『笑う犬の生活』のマネをしながら帰ったりしたのが面白かった。
『日本昔ばなし』の「にんげんっていいな」をみんなで大声で歌いながら帰ったのも面白かった(笑)
(いや、近所迷惑だっただろうけどね。毎回じゃなくて数回だからね。)
そういう面白い人たちの集まりってことだってってこと。
そうだ、
学校卒業して随分時間が経ったのにセブンイレブンで後輩たちに遭遇して、
「キャー!キャー!〇〇先輩だー!!!お元気でしたかー!?会えて嬉しいですーー!!!キャーキャー!!!> <」
って有名人にでも遭遇したみたいに黄色い声をあげられたことが、
恥ずかしかったながらも、いい思い出だなと思う。
「あ、うん、お店の中だから静かにしようね。」
って顔を真っ赤にしながら言ったよね。
そんな感じかなー。