Miyaの書斎

読書や映画や使ったもの感想を中心にまったりモフモフ書く。

【2020年上半期あったこと】コロナがあったけど花々が楽園のようで竹取の翁になれてタヌキと遭遇して蛍を見た

【2020年上半期あったこと】コロナがあったけど花々が楽園のようで竹取の翁になれてタヌキと遭遇して蛍を見た

はてな今週のお題「2020年上半期」っていうことでね。書いてみようかなって思うんですけれども。

(((下書きに入れたまま投稿してなかったわ。)))

コロナ流行

みんな書いているよね。ブログ書いてない人もそう思っているよね。今年前半コロナだったなって。コロナ一色だったなって。コロナによっていろいろなくなったなって。コロナ以外なにかあったっけ?って。

働き方改革大進化

そこでいいことに目を向けたいなって思うと、やっぱコロナによりリモートワーク、テレワーク、在宅勤務、いろいろ呼び方ありますけれども、それが一般に認知されたり、実際に行ってみて、その利便性や利点を体験して、あれ、これいけるんじゃね?ていうかいいんじゃね?っていうことに気づいたよね、気づいちゃったよね。

会社勤めのストレスの大半の1つとして満員電車での長時間通勤だったことに気づいてしまったよね。見て見ぬ振りしてきたし、しょうがないって惰性でここまでやってきたよね。それがしょうがなくないじゃんって気づいたし、リモートで仕事結構できるじゃんって気づいたし、むしろ余計な話かけがなかったり、仕事帰りに飲み会に誘われて自分の時間を削ることもないし、飲み会したとしても自宅同士なら、飲み過ぎても安全って感じだし、よりリラックスだし、タバコ吸わないし苦手なのに飲み屋でタバコの臭いがただよってきて、気持ち悪くなってオエーってこともなくていいねって感じだってことに気づいちゃったよね。

このリモートワークの導入と、コロナ後もリモートワークのスタイルを継続して一部通常化したり、選択できる体制にするって表明した企業もでてきたことや、リモートワークのためのツール(zoomとかそれのライバルとか)が認知導入普及されたことを、一気に5年進化した感じと表現する人も結構ちらほら見かけた。そりゃぁどうかなと思うけど、むしろ今が5年遅れていた感じがして、やっと時代が追いついた感が否めないんだけど、それでもまだまだ遅れている感じで、もっと近未来チックにならないかなーと思っている。

リモートワークだけじゃなくて、学校の方もいろいろ進化があったかもな。リモートで授業できなくないっていう気づきよりも、学生でもやっぱスマホとかタブレットとかノートパソコン必要だなって、結構必要だなって、って言うかもう持ってて当たり前の環境になるべきなんじゃないかなって感じが加速した感なくないよね。
中学生は今までは原則スマホを学校へ持ってくるのは禁止だったの意外だった。学校ごとに違うのかなって思っていたし、今はもう持ってくる自体は禁止ではなく、使ってはダメとかそういう感じかなって思ってた。
そのスマホ持ち込み禁止が、持ち込み解禁になって、登下校時の連絡手段としてなら使っていいとかいう風になったり、小中学校でタブレットやPCが配られて授業に使うのが2023年から今年に早まったりっていうのも、コロナでリモート授業になって持っている人、持っていない人で格差ができないようにするためってことで、そこも近未来に進化だなーって思った。ただこの点については物凄く羨ましいし、ならばタッチタイピングが普通にできて、ショートカットキーも使いこなせて、Ward、Excelパワポも基本はできる人材が育つんだよね?そうだよね?っていう思いがある。若い人=パソコン使えるとは限らないんだっていうのが最近経験で分かった(スマホは使ってきたけど、パソコンは大して触ったことないし、使いこなせる必要ないし、苦手なんですよねーって言ってればいいと思っている新人や新入社員がそこそこの人数いて唖然とした)から、若くて新人で期待されることってパソコン使う業界職種なら、まずパソコン使えることだし、それができなかったなにができるの?って感じだし、できないなら自分から調べて覚えろよって感じだし、新人、若い、ってだけでそれが利点と思って生意気なこと言ってるのはポンコツだろと思う。そんなんだったら仕事の専門スキルはあるけどパソコンは慣れてないけど覚えようと自ら調べて勉強したり、積極的に取り組んでる年配の人の方がまだというか、何千倍もいいんだけどっていう。研修とかないんですねーとか文句たれているやつは、どうかしていると思う。(これは2020年に見た話じゃないけど。つい数年前の話。)
((結構辛口に書いてしまったな。))

と同時にパソコンとかが得意な私からしてみれば、ぐぬぬ、ライバルが増えると思っている。

それが2020年上半期。

自然を楽しめた〜花々が楽園のようで竹取の翁になれてタヌキと遭遇して蛍を見た〜

春が来るのが早かった

忘れちゃいけないのが、今年は暖かくなるのがとても早くて、3月中旬にはもう桜が咲き始めたってこと。

コロナで外出自粛中のときも、人のいないところでの散歩は推奨と国の専門家が言っているのを見て、私はこれまで行ってみたいと思いつつ、行かずにいた近くの“山というには低いし丘というには深いし林という程浅くないけど森という程深くもない”山林の方に行ってみた。

花園

そうしたらとっても花々が綺麗で、楽園のようで、天国のようで、夢中でシャッターを切ったよね。桃源郷のようで。静かに音もなくとめどなく舞う花びらが綺麗だった。春風に優しく靡いて。
今でもその写真を観ると、ポーッとする。恍惚。

竹取の翁となりけり

あと、めちゃくちゃ竹の子がニョキニョキ今、生えてきています!ってところで、足元にあった竹の子がポロリととれて、それを持って帰ってみて、採れたての竹の子も食べてみた体験ができたのもよかった。
採れたての竹の子は皮をむいて、切って、米のとぎ汁で30分から1時間煮るだけで、甘みのある美味しい味がした。
「「私、竹取翁になった」」ってナチュラルに思ったよね。いい思い出だった。

 

そんな感じかな。

 

タヌキ居た

上記でこの記事をとじようと載せる写真を探しに、写真見返してたら、タヌキに遭遇したのもあった。

そこそこ都会なんだけどタヌキ居たわ。いや、前々からいるなって気づいてたし、駅の横のところ「「あれ!?タヌキだ!今の猫じゃないよね?しっぽがフサフサしてたもん。タヌキだ!え!タヌキいた!」」って少し追いかけたことあるし。そのとき確かにタヌキだったんだけど、猫や犬ほどしっかり姿を見せてくれないっていうか、早々にその場をあとにしちゃうから、今のタヌキじゃん、タヌキだよねってことがこれまで2、3回あったけど、今回ほどタヌキと並走できたことなかったから、かなりしっかりタヌキ見たから、間違いないっていうか、写真も撮れたから。でも写真載せれない。もろマイタウン写ってるから(笑) それにそこまで鮮明じゃない。夜だったし、街灯が届いてないところにいたから(笑)
タヌキって、猫みたいに人と遭遇したときに一方通行にどこかへ逃げ去るんじゃなくて、来た道を引き返す方を結構選ぶ。だから同じ道を行ったり来たりした。なんで?って思った。そのまま真っ直ぐ走りされば、私よりタヌキの方が足早いし、影にかくれやすいのにって。なかなかお気に入りのコースから外れないの。だから逆にどんどん近づけちゃうっていう。警戒心が強いのもかも。昔話にたぬき汁って出てくるし、昔の人はタヌキを獲って食してたから、きっとタヌキの人間に対する警戒心が高いんだと思う。でも猫よりけっこう無防備な道選びがち。駅のすぐ横もそうだし(そこで猫見かけたことないわ、そういえば。駅から自然多めのところってそこそこ距離あるんだけど。)、親子連れでトットトットと移動するし、今回だって、「「「そこめっちゃ人が通る道の横じゃん?なんでそこから外れないの?え、近づけちゃう、近づけそう、もっとよく見たい!」」」って感じだし。(でも猫みたいに待ってくれない。近づいたらやっぱり猫よりも早いタイミングで逃げちゃう。猫みたいにちょっと待ってみようとかない。)

全体的にフワフワのモフモフで可愛かったなー。

蛍も見た

近くの森林公園の保護区域には蛍が出るせせらぎみたいなことが看板に書いてあって、よくよく調べると、保護区域外の少し離れた蛍なんていなさそうな川にも蛍が出ることが分かった。
それで蛍が光る時間とされる

蛍は一晩に3回飛び回ると言われています。1回目が7時~9時、2回目が夜11時前後、3回目が午前2時前後です

 の1回目の時間に行ってみたら、思ったより多く飛んでて綺麗だった。でも写真や動画におさめるのはなかなか難しかったなー。というか今日は下見がてらカメラやビデオカメラを持たないで行くかー重たいしと思ってスマホだけとかカメラだけとかで出かけたから、スマホの動画撮影ではうまく撮れなかったってわけ。後日ビデオカメラを持っていこうって思ってたけど、大嵐がめちゃくちゃ続いたから行けなくて(悪天候だと蛍も出ないし)、結局ちゃんとした撮影にトライできないまま蛍が光る時期がすぎちゃったんだー。
7月になってから嵐がおさまったから、諦められなくて行ってみたけど、ぜんぜんいなかった。(いるんだろうけど光ってはいなかった。)

 

そうだ、大嵐が今年は続いたよね。台風の代わりに巻かない台風こと大嵐が来たって感じだった。これは2020年後期の話でもあるね。

 

こうやって振り返ると随分いろいろあったな。都度記事にしてたらそれなりに枚数いったと思うんだけど、してないっていう。なぜしてないかというと、それぞれ、それだけのことに記事書いてもなーっていうのがある。思い出深く思い出ノートにしてもいいんだけど、それしてアクセス数が皆無だったらショボンとなっちゃうかもなって思って。大切ないい思い出がショボンとなって傷つくのをおそれているんだと思う。
そういうことってない?

 

そんな感じかなー。

 

他にもゲーム自尊心を少し取り戻した話とかあるけどそれはまた別の記事で。