Miyaの書斎

読書や映画や使ったもの感想を中心にまったりモフモフ書く。

老後より今を楽しく生きないといけない気がする【ボケ防止にオススメの趣味】

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 はてなからのお題テーマで書いてみる今週のお題
「理想の老後」
「老後を想像してみる」
「老後生活でやりたいことリスト」

みんな老後のために生きてるみたいなところあるけど、
学生のときの同級生や先輩で、20代ですでに亡くなった人が何人かいる。
若くしてガンになった人もいる。

それを思うと、老後にゆっくりとか、老後に、老後にって考えられないなって思った。

老後なんてないのかもしれないなっていう方が私にとっては身近に感じる。

それに加えて「老後資金2000万円」って言われちゃってもなっていうのも少なからずそう思う理由にある。
さらにっていうその前からだけど、年金はどんどん払う分は増えて、もらえる分は減っていってるから、もうおしまいですねっていう。

だから
「老後のことなんて考えないで今をせいいっぱい楽しく生きる方法を考えたり行なった方がいい」かも。

バブルを生きた人はそりゃぁ老後も楽しいだろうねって感じする。
楽しそうだもんね、今も。

そこから下の世代はもうずーんって感じ。野となれ山となれっていうか。

老後とか考えられないかもな。

それが答えかも。

 

はてなはなんでこれを今のタイミングでお題にしたのかな?やはり先の政治家の発言を受けて、みんなどう?って感じでなのかな?敬老の日があったから特に考えずにって感じかな?

「老後生活でやりたいことリスト」は「死ぬまでにしたいことリスト」に置き換えたほうがいいと思う。

老後なんて来ないで亡くなってしまった人たちはきっとそう言う。

 

「ボケ防止にオススメの趣味」

毎日15分程度でも歩くことと、人と会って話す機会をなるべく設けることが大事だっていうのは、まだ年配でもないけど感じる。周りの年配の人を見てもそう思う。年配の人たちもそう言ってるのを聞くことある。

足は第二の心臓っていうし、足に刺激があることが体にいろいろいいみたいなんだ。

近所の快活なおばさんから見る事例

近所のおばさんは、もう“おばあさん・おばあちゃん”のはずなんだけど、ずっと変わらずおばさんくらいの見た目と快活さだからすごい。この人は毎日リュックを背負って買い物に出かける。1日分程の食料だけをいつも買いに出てるみたいなんだ。多めに買って買い置きすれば、少なくとも3日くらいは買い物に出かけなくて済むけれど、どうもわざとそうしないみたいなんだ。
この近所のおばさんがいつまでも若くて快活なのは、こうして毎日歩いているからだと思う。

でも最近、娘さんが家にもどってきてから、急に老けてしまった。ずっと変わらない見た目だったのに。
どうも買い出しにいかなくても済むみたいだったり、娘さんがしてくれることがあるから、自分でしなくていいことが増えたりしてってことっぽいんだ。髪型も前はいつもこぎれいにさっぱりショートに散髪してたけど、やや伸びて適当に後ろにゆるくまとめて野暮ったい感じになりつつある。目もちょっとしょぼしょぼしてきたし、少し不安だ。いつまでもいつまでも元気で長生きしてほしい。

ご近所さんで心の中で気が許せる頼りになる気心しれた感じがある人がその人くらいしかいない。その人はどう思ってるか知らないけど。

そうだ、とっても仲のいい旦那さんはまだ亡くなるには早い年齢でこの世を去ってしまった。わたしはそのおばさんもがっくりきて後を追うようにいってしまうのではないかと心配だった。なぜならよく、“仲のいい夫婦が、片方がなくなると、もう片方もほどなくして自然死する”事例を耳にしたり記事などで目にすることがあったから、不安だった。でも、そうはならなかった。毎日歩き出て、どこかしらのご近所さんと交流を持つようにしているのを見かけていた。これだ!と思った。
快活に健康に生きるのは、毎日歩くことと、なにかしら人と会って話す機会を設けることだと。

人に会う機会がもたらす健康のメカニズムを考察

人に会わないと、会話もしないからボケていくと思う。脳の伝達回路=シナプスが途切れてしまうっていう仕組みじゃないかな?「言葉がすぐ出てこなくなる」っていうのも、シナプスが使われなくなるから、シナプスが細くなってすぐに言葉が思い出せなくなるっていう仕組みだと思う。だから常にシナプスを使う機会を設ければいいんだと思う。

それに人に会う機会があると身だしなみも気に掛ける。身だしなみを必要最低限でも気に掛けるっていうのは案外、いろんな脳を使うと思う。

どういう順番で身だしなみを整えるか?、このお気に入りの大事な服を汚さないように先に歯磨きと洗顔、メイクを済ませよう、いや、かぶるタイプの服だからメイクはあとがいいな、するとヘアセットは服を着替えてからか—なんて思うとなかなかの段取りだ。想像力と手順と、それを一旦でも覚えておくっていう脳を使う。

何時までに人と会うから、家を出るのは何時だ—とかいうのだって脳を使うし、人と会うからこんあコーディネイトにしようかな?というちょっとした日常のワクワクがある方が、生きることに張り合いが出ていいと思う。

しかしでも、そんなことでボケが防止できるなら、困ってる人はもっと少ないと思うから、防ぎようのない病なのかもしれないとも思う。

なんとなくだけど、頑固な人ほどボケとか認知症になりやすい気がする。頑固というか、こうであるべきだみたいな固定概念が強くて、そうではない場合は(人によって価値観が違うから)よく起こりうることだから、それでストレスを感じる頻度が高くて発症するって感じがする。
つまりストレスを多く受けているとなりやすいんじゃないかと思う。

上記のふわっとしたなんとなくそう思った仮説が勝手な思い込みだったりするかな?と文献を探してみた。(といってもネット上でだけど。)

認知症発症と「性格」の関係は?=変えにくい性格にどう対処するか|医療ニュース トピックス|時事メディカル

 神経症傾向が強い人はそうでない人に比べて認知症になりやすく、誠実性、開放性が高い人は認知症になりにくいことが分かっているが、神経症傾向が強いことが脳の細胞にどのような影響を与えるのかはまだ不明だ。

とある。詳しくはリンク先のサイトの図にある説明を見て欲しいんだけど、2ページ目にあるサークル活動など、なにか人と(社会と)関わりあうことを持つとよいというのは、自分の体験からもそう思う。

カルチャースクールに通うのも手

心身が弱っていて仕事をセーブしなきゃいけなくなったとき、私もほぼ引きこもりみたいな感じになった。でも前からしてみたかったお花のレッスンをちょうどいい機会だから受けることにした。これがよかった。2週間に1度あるだけだけど、出かける用事があると思うと、自分の中に爽やかな風が吹き込むような、日常生活に張り合いが出るような感じがした。レッスンに通って2週間も経つ頃になると時間に余裕が持てていいなと感じつつも(レッスンのある週は「今週末にレッスンがあるから〜までに〜をしなきゃ」とか「今週末にレッスンがあるから〜はできないな」とかいう感じでやや慌ただしさを感じなくないから、)なんだかそのまま家にこもっていても大丈夫なのではないかというか、その方がいろいろ楽だったりして、出かけても出費してしまうだけだしなと、無駄にだけけないと決め込みそうになるのだ。
もしそれがなかったら私は本当に引きこもってより鬱々と沈んでいってしまったと思う。でもそのレッスンがあるから「生きていると感じる」ことができるような、そんな感じだった。

お花のレッスンは年配の人が多くて、私は最年少だった。でも新しい人が・若い人が入ってきたと暖かく迎え入れてくれたのがとても嬉しかった。

さらによかったのはカルチャーセンターの中のレッスンなので、もし万が一教室が自分に合わなければ、カルチャーセンターの受付を通してフェードアウトもしやすいのであった。それが始める前からあった不安を1つ取り除いてくれることになってよかった。先生とのお付き合いとか、一緒のクラスだった方々とのお付き合いとか考えると、もしやめることになったときに、先生に申し出るのも、他の人になんとご挨拶するのか、またそのときどんな反応を受けるのかと気苦労が生まれると、既に弱っているのもあってなかなか厳しいものがあった。けれどネットで調べたところ、そうしたカルチャーセンターでは、上記のように受付を通して入会や退会もできるし、もしおかしいなということがあれば受付の方へ相談すればいいということで、個人教室より不安ごとがないというのを見かけて、通ってみることができたのだった。3ヶ月更新なので、やめるときも、もし気まづいことがあれば先生に特段申し出なくても、続ける手続きをしなければいいだけで済むとこがカルチャースクールの売りというわけなのだった。お歳暮とか節目節目のお礼みたいなのもしなくていいというのもカルチャースクールのQ&Aに明記されていることなのだった。

さらにカルチャースクールのお花のクラスの中でもゆるいクラスを私は選んだ。
どこを見てゆるいと思ったかというと、持ち物の項目に他の同じようなお花のクラスには書いてあるような細かく決まった持ち物が書かれていなかったことだ。

「「ああ、そんな厳密じゃないんだ」」とわかった。

持ち物を新たに買わなくていいのも、とても助かった。

趣味とかで買ったものが既にいろいろとあって、物を増やしたくないし、それどころか整理しているところなのに、ここで続けるかもわからない習い事の物をまた増やすのはなというのがあった。お花をしてみようかと思ったのだって、家にそれができる道具が既に一式母のがあったからなのだった。

「「これを活かせないものか・・・」」

そう思ってのこともあった。

また仕事柄イベントでたった数時間使われた綺麗な豪華なお花を持ち帰りや、社内に飾るという機会があったり、その前の仕事でもショーウィンドウに花を飾るという機会に触れることがあったりして、そういうときになにもできなかったのがモヤモヤしていた。

職種柄できそうな感じもなくない職種なのにできない。それも悔しかった。

スーパーでとても安くお花が売られているのを見かけても家にある花器に、もらった花束をうまくいけれたことがないから買うのを躊躇っていた。

とても安くセールされていくお花を買って帰って飾りたいと思いつつ、それを横目に通りすぎるのがなんだかむなしかった。

それが今ではお花をうまく飾れるようになった。

部屋を整理してのも相まって、花が飾られている空間があるというのは気持ちのいいものだ。

以前だったら一輪挿しすらはえないかんじになっていと思う。はえなくはないけど勿体ない感じ。

お花をかざるから、その棚を広くスペースをとって見栄え良くしておきたい、だから常に片付けるクセもついた。花の飾られている花器の周りにも、本や書類が積み重なってたら見栄えはよくないものね。

わたしは雑誌『モダンリビング』のようなシンプルな空間が前から理想だったから、願ったり叶ったりだった。

でも今の課題は、まだスーパーの安売りの花束だけで飾ったことがないということ。

レッスンに通っているから、そこでお花をもらう(厳密にはレッスン代に花代が含まれているから購入している)から、スーパーのお花を買う機会がない。花材は1週間くらい、長いと2週間もつものもあるし、棚になにもかざらない時間もほしいし、出費が増えても困るからまだ挑戦できてないんだー。

先生や先生と同じくらいの年配で先生の資格も持っている人は、私がプロになるんじゃないか、なったらいいのにと思っているみたいだけど(この前は展覧会に出すでしょ的なことを言われたから、驚いて「仕事があるから出せないって言ったじゃないですか」と答えたら、「仕事!?じゃぁ、これはなに!?」と言われてしまって尚一層驚いた。あまりに驚いて言葉を一瞬失った。そうしたら他の生徒さんが「趣味。癒し」といってくれて((そうです!))と思いながら「趣味です!」「癒し」とやっと声に出せた。なんだと思ってたんだ・・・。)、わたしはスーパーで種類も全部違う3本250円とかで安売りされる花束を、引き出物でもらっちゃうような口の広いクリスタルの花瓶や家に元からあった平らな花器にどうやったら活かせるか、ちょっとでもみばえよく飾れるか、飾れるようになりたい、だけなのだ。

そしてまた、もし花をさっと飾る機会があったとしても、さっと格好つくように飾れればいいなっていうただそれだけなのだ。

大量の花材や大きな花材で大作をつくれるようになりたいわけじゃないんだー。

先生は頑固で物忘れが激しくなってきている
〜他の人からも学び取って早い上達を目指しつつ、他の人とも交流をはかる〜

展覧会に今年は出せないと話したときに、先生の資格を持っている先生と同じくらいの年の方が「あら…残念ね、せっかくいいもの持てるのに…。」ととても残念そうな優しい声でおっしゃってくれたのはともて嬉しかった。から、ついでにここに記しておきたい。

その人はときに先生よりうまくお花をまとめあげるんだー。だからレッスン中にその人の様子や作品をちら見(笑)

最初の頃は初心者は先生の近くの前の方に座るように言われたけど、前に座ったら他の人のやってるところが見れなくて、上達が遅くなるから、一番うしろに座るように頑張った。そうしたら3回目くらいには何も言われなくなって、念願の“先輩たちのお花の様子が見える席”を確保できたのだ。これがすごく勉強になる。

先生も初めてのときは0から教えてくれるけど、あとはでき上がったのを見てくれて、ちょっと手直ししてくれる程度だし、日によって言うことが違ったりすることがあるし、テキストと真逆のことをいうこともあるから、みんなのを見て、ふむふむなるほどとか、いつか自分もああいうのをすることになるのだなとか、ああいうとこを気をつけたほうがいいのだなと勉強する方がいいのだ。

それにみんなのお花もちら見しながらの方が癒される。チクチク嫌味をたまに先生は気分で言うから、そんな先生と1対1みたいな状況だけですごすのはなかなかつらいものがある…。

しかも一番後ろの席は先生の資格を持っている一番上級者の人たちが座ってるから、たまに手こずってると、こうするといいわよって教えてくれる。先生は他の人の見てたり、自分のお花に夢中になってて気づかないことが多いし、先生が教えてくれなかったことを教えてくれたりするから、もう助かっちゃうよね。

その方達はそれぞれ違った特徴を持つ方々なので、それもそれでなるほどと思わされるのもいい。1人は芸術派で感性でバーンと作品を仕上げるタイプ。もう1人は情緒溢れる感じで考えられた感じで仕上げるタイプ。教え方も芸術肌の人は「こうするといいわよ〜」って横からすぐ手をだしちゃうタイプ(笑)、もう1人は様子を見つつポイントだけ「こうするとね、いいわよ」とさりげなく教えてくれるタイプ。
手をさっさと出されちゃうのはたまに困るけど、アイディアがやはり芸術家だなって感じで、そういうのもありなんですね?っていうのが参考になる。

でもやっぱり先生の方が先生ではあるなって感じがする。なんというか、教えるバランスがいいというか。やっぱり教え慣れてるってことなのかなー。

でも3人とも同じくらいの年だけど、先生が一番ちょっと物忘れが激しいなっていうところがある。

先生は頑固なところがある。

 

既に年配の中で流行っているポケモンGO

ポケモンGOはニュースにもなったから知っている人も多いと思うけど、スマートフォンで歩くことでいろいろとクリアすることができるアプリゲームだ。
このゲームは万歩計みたいにただ歩くだけではなく、行った先によって出会う「ポケモンという想像上の生物たち」が違ったり、その生物を捕まえて自分の仲間にし、出かけた先にあるジムでバトルしたり、友達とポケモンを交換したりして楽しむことができるのだ。

などと説明しなくても知ってる人が多いと思うけれど、年配の人の中にはまだフィーチャーフォンガラケーの人が結構いるのだ。

お花の先生もスマートフォンではない。先生とほぼ同じ年くらいで先生の資格も持ってる同じクラスで、プロの芸術家をされている方もつい先月スマートフォンにしたばかりだ。

その人がいうには「これはすごいわねぇ!ほんっと便利!おすすめよー!」という訳なのだが、先生の方はそれまでクラス内でスマートフォンをいじってる人がいるとたまーーにチクチクお小言をいう感じなのだった。直接的に見ちゃだめとか、いじっちゃだめとか言うんじゃないけど。できた作品を撮影して家で復習するのに使いたい人もいるのに、そんなものいじってって感じなことを言うのだ。しかしできた作品を撮影しているからはっきりと言いづらいみたいな、なんか微妙な感じ。そこもめんどくさいけど。(ところどころめんどくさい先生なのだ。)

そんな先生が、その同じ年くらいで生徒というよりお友達という感じの芸術家の方がスマホに変えて「いいわよー!」と押すものだから、ガラリと変わって、なにも言わなくなった。

先生とかしているとスケジュールとかいろいろ出入りして忙しいだろうし(というか毎回クラスで、今度なになにがあるとか、この段取りで展覧会準備していかなきゃいけないのよ〜と話すので)、スマホにあるカレンダー機能とか、とくにGoogleのツール一式は使う、とてもとても便利なのに、もったいないなと思う。

先生は写真も趣味で、お花の他にも一眼レフのクラスも受けているというから、尚一層のこと、スマホにしたらいろいろ便利なのになーと思う。
けれど、やはり年を取ると抵抗があるのかなー?

うまくするとフィーチャーフォンより月々の支払いも安くできるのに。

でもたしかに、その「うまくすると」っていうのが、けっこう込み入ってる。

この(そこそこそういった知見はある)私ですら、
「「これはなかなか慎重に手続きを踏まないと余計な支出を払うことになるぞ」」
と思って、慎重に慎重にことを進めたくらいなのだから。

 

そうだ、今度その安くすむって話を書こうかな。

知ってる人にとってはなにも特別なことじゃない。

SIMフリースマホを手に入れて、格安SIMに乗り換えるのがいいよって話なだけだけどね。

 

ちょっと話がそれちゃったけど、
ポケモンGOはそれこそ老後暇にしている人たちが喫茶店で集って、「あのポケモン、ゲットした?」「あそこに出た強いポケモンをみんなでたおしてゲットしに行こうよ」とか「ポケモン交換しよう」とか交流したり、歩くことでタマゴからポケモンが生まれたり、町中に点在するアイテムがもらえるポイントへ道すがらよるという、自然に
「歩く・交流する」
ができ、することで楽しみが広がりながら健康も保てそうなゲームってことで、年配の人たちがそういった理由でしている率が既に多いからオススメかなと思う。

実際私もしてみて、ただの万歩計アプリや、万歩計アプリにちょっとゲーム要素が加わっただけのアプリ(たとえば歩いた歩数によって、なにか仮想上のもらえるとかいうだけのようなもの)より、現実世界と、仮想空間がリンクしていることで、空間認知的な面でも楽しさがあるし、他にもしている人がたくさんいることを常に感じられるアプリの作りであるから、他にはないおもしろいゲームかなと思う。

ゲームが激弱で、苦手な私でもそこそこ楽しめたよっていう(笑)

ポケモンGOをはじめたら、ぜひTwitterもはじめてみてほしいな。ポケモンGOユーザーは相互フォローしやすいみたいだから、ネット上での交流も増えるかもね。

流行りにのってツイッターはじめてみたもののフォロワーなんて増えないし、つぶやいても誰も反応しないっていう人は、ポケモンGOをはじめて、ツイッターでその日の成果を「#ポケモンGO」のハッシュタグをつけてツイートすれば、反応される確率が、「今日寒いね」とかより格段と高いと思う。

 

そんなところかなー。